9月4日(金)曇りのち晴れ、この2、3日、暑さがやわらいだ。夏バテもようやく回復してきたよう。「今まで経験したことのない最大級の」台風が来るそうで、屋根のトタンの浮いた釘をしっかりと打ち込み、東と南のガラス戸・窓に角材を打ち付けて補強し、下の家の排水路の土や石をさらった。5日、時おりかすかに雨、ラジオはひんぱんに「今まで経験したことのない……」。怖いほどに無風。6日、曇り、ぱらりと雨、フワーとつむじ風。「想像を絶する」台風、やはり九州に向かって北上、奄美大島あたりか。
それにしても「今まで経験したことのない」ものほど怖いものもない。だって対処のしようがないでしょ。まず敵を知ることですよね、大切なことは。もっとシンプルで具体的な情報はないものかと電話で予報を聞いた。920hpで最大瞬間風速50.1メートル、最悪の予想が70メートル。私の経験で最強だった1991年の19号、福岡管区気象台観測史上最高の瞬間風速60.9メートル、飯塚では48.3メートル。ここ山田は筑豊盆地のまた小盆地なので風は少し弱まる。わが掘っ立て小屋は吹き飛ばなかったし鶏小屋も無傷だった(全面金網なので風は抜けていくのだ)。避難した下の谷間の区長さん宅などそれこそ「どこ吹く風」で、のんびりとテレビで「台風観戦」だった。最悪の場合でも下の家だけは無事だろう。ま、命だけは助かる。そう思うと腹が据わった。
夕方、台風は屋久島あたりか。ときに風が雨を伴って渦を巻くように吹き抜けていく。夕食後、トラジローとハッサンを連れて下の家に移った。大変な方々には申し訳ないが、まるで旅行気分で煮干しとピーナツとチーズを肴に冷酒をゆっくりと飲んだ。一応ちゃんとした瓦屋根で雨戸もしっかりしているので、雨も風もほとんど感じない。ハッサンは遠慮して台所の板の間で横になり、ノンと私は本当に久方ぶりに枕を並べ(私は6時か7時に床について3時か4時に起きる。そのため離れで寝起き読み書きしている)、トラは何回か外に出かけたが、夜中の3時過ぎ目覚めたときは私に引っ付いて眠っていた。
翌朝4時半、外に出ると風は強まっていたが飛ばされるほどではない。すべてがいつものままだ。そのあとの風はしつこかった。昼前、ようやく少し静まり、3時過ぎ、ほとんど収まり、日が差してきた。
気が抜けるほどわが雑草園は無事だった。ところが「今まで経験したことのない」苦労の本番はこれからだったのだ。
9日、4時半に起きたときは小雨、のち晴れ・曇り。かすかに明け始めて、いつものようにハッサンと上の雑木林に。下って来る時、南側の柵のトタンがへし曲げられ、その上のネットが破られていることを発見。猪にしては穴が小さい。実はこの台風で栗が実にならないうちに落ち、寂しい限りだが、猪その他の食客の来訪がないので、久しぶりにゆっくりできるかなあと思っていた。栗山の大木の下に行ってみると、実を食べたあとの皮が散らばっていた。すでに実は熟れていたのだ。もう9月だもんなあ。いつものことだが自身の甘さをウンザリと思い知る。連中、一度味をしめるとしつこいぞお。
8月末からの晴天続きで遅れていた人参の種をまいた後、とにかく栗拾い。それも風で落ちた大量の青いイガを。まさに徒労だが、実が入っているのもたまにはあるので、野生動物を引き寄せないために始末しなければならない。
10日、4時起床、寒い。晴れ、昼は暑いくらい。また別の場所のネットを破られ、栗を食べられていた。見上げると、赤茶に色づいたの、青いのと、まだまだ実はのこっている。柵の修理、大根畑の準備、栗山の草刈、栗拾いと今日も私にしては珍しく働きづめ。その後も連日、侵入されたが、栗山の一番上のほうからでそれも音なしで、ハッサンは反応しない。後から考えるとつくづく幸せな夜だったと思う。ともかく静かに眠れたのだから。
13日、ホームセンターから高さ1メートル半長さ50メートルの塩化ビニール製ネットを3つ買ってきて柵を補強。去年まではトタンとノリ網とこのネットを重ねてきっちりと張れば、かなり有効だった。ところが翌朝、あっさりと網とネットは破られていた。どっと疲れが出てきた。それに猪ではないよう。小動物ならさほど害はないだろう。入られるのを覚悟して栗拾いに専念することにした。もちろん最小限の修理はするが。栗がなくなれば来なくなるだろう。
17日、小雨の中、大根と白菜の種まき。これ以上遅くなると太らない。だが早すぎると虫にやられる。近年、9月に入っても暑さが酷で、秋冬野菜の種まきが本当に難しくなった。2日後、春菊とレタス類の種まき。数日後、小松菜、カブ、キャベツ、かつお菜そしてほうれん草など。その頃には抜けるような大根の幼い緑の列が黒褐色の土に浮き上がっていた。
9月も末になって、日中も山の風は冷たくなり、ほとんど栗は落ちなくなった。だがきっちりと毎日、柵はやぶられた。なんだかイヤーな予感……連中、永遠に居座るのでは。下の畑には10月上旬に落ち始める最晩生の栗があるし、柿やみかん、豆類、イモ類、にんじん……鶏小屋、その廃屋も。果物や野菜、鶏を食われるのも困るが、棲み処にでもされて、アライグマかアナグマか、子どもたちがゾロゾロと湧いて出てきたら……悪夢だ。昔侵入してきていたタヌキやキツネが懐かしい。彼らは分を、引き際を知っていた。
話はガラリと変わるが、そう言えば昔々の自民党の先生方も今では懐かしい限りだ。一応、立場の違う人の話も聞いたし、話をはぐらかすばかりではなく、誠実に受け答えもしていた。ウソやゴマカシがあればそれなりに糾弾され、謝罪、訂正もしていた。官僚や司法、マスコミ、学会等々、少なくともあからさまに自分たちの言いなりにしようとはしなかった。憲法も法律もそれなりに守ろうとしていたように思う。
続く (2020年11月1日)