私の宇宙 下

重松博昭
2021/10/19

 この雑草園も一個の宇宙だ。その中にまた様々の宇宙が存在する。一握りの土の中に無数の宇宙が存在する。
 少なくともこの日本では、かつて農とはこの大地の営みに能動的に参加し、その一員として生きることだった。農民の何代にもわたる経験、実験と観察の蓄積のなかで、その宇宙全体をわずかずつでも把握し、より豊かに永続的にしようとするものだった。経験科学、総合科学だったのだ。
 私は自然科学、分析科学を否定する気は毛頭ない。ただその科学技術のパワーが余りにも圧倒的すぎた。農業においても、農薬、除草剤、化学肥料、そして機械・施設等々の登場が余りに鮮かすぎた。これらに従ってさえいれば何でもできるように思えた。楽々と早く大量にリッパな「商品」が生産できるように思えた。それまで長い間培われてきた伝統農はあっさりと否定されてしまった。そうではなく、それぞれの地域に根付いた農を土台として、科学技術をどう生かすかを農民一人一人が模索・実践していかねばならなかったのだ。
 例えば農薬。農薬会社や農協等のお達しに従えばいいというものではない。あくまでも必要最低限でなければ。そしてそれは現場で作物の、土の声を聞いて判断すべきことだろう。研究者や農薬会社がまずやるべきことは、農薬等が作物に、人体に、土、水、空気、諸々の生命に、地球全体にどのような影響をもたらすかを徹底的に究明することだろう。それも総合的に、未来を見据えて。
 化学肥料。微量要素も不必要というより害になることもあるだろう。なんらかの要素を補足すべき時もあるかもしれない。それも農民自らが考え、決めるべきことだ。
 機械・施設もより新しければ、より大型であれば、すべてを機械化、АI化すればいいというものではない。そうなればなるほど農業が土から離れてしまう。大地の営みが、自然が見えなくなる。農とはあくまでも大地の上で一人一人が創るものだ。創造だ。
農に限らない。生きることは創ることだ。決して消費(廃棄)することではない。科学とは? 進歩とは? 科学の本質の第一は現実そのままをあるがままに捉えることではないか。客観とは自身を空にして物事をみることではないか。そして科学の目的は全人類の幸福ではなかったのか。決して一握りの人間・集団が過剰な「豊かさ」を謳歌することでも、一部の「先進国」・グローバル企業が世界を制覇することでもなかったはずだ。科学がもたらす新「文明の利器」をとにかく次から次へと消費(廃棄)することのどこが科学的なのだろう。より多くの金、快、楽、クリーンのために、科学技術を巨大化、「進化」させ、地球環境を、生命を破壊することのどこが科学的なのだろう。進歩なのだろう。
 私たちは科学を、科学技術を、真に科学的に見つめ直さなければならない。
 
 ようやく6時近く、空が冴え渡った青白へと明け始めた。うす闇のなかハッサンと栗山を登る。一匹の鈴虫の声がくっきりと大空から響いてくる。今の所、野生動物の侵入はない。ヨソでも栗が豊作だったからか、昨秋、猪やアライグマに尻を叩かれ昼夜、柵の強化に励んだおかげか。連日の栗拾いに腰は重いが気分は軽い。散乱する侵入者の食べかすの中から、数少ない無傷の実を拾い出すことほど疲れることもない。
 山を下る頃、大空は一面光を帯びた白。早くも柿の葉が焦げた赤に色づき始めている。突風にその幾つかが木から離れザワザワとうねる。近年になく実が鈴なりだ。十分に熟れるのをカラスとにらみ合って待ち、毎早朝2、3個、すきっ腹時にいただく。 妻のノンがすぐにハッサンと今度は下の通りへと散歩に出かける。最近、町に下る谷間の道を歩くようになって、急に賑やかになった。男性に連れられた二匹の柴犬とはいつも衝突寸前、なぜか自由の身の貫禄十分のシェパードがのっそりと現れたり、大きな茶色の鹿がゆっくりと目の前を横切ったり……いつもハッサンを待ち構えている人もいれば、尻尾を振るかわいい犬たちもいる。何十年ぶりかで親しい人に再会したり……帰ってきて坂道を登ってくるその表情も波乱万丈だ。げっそりと疲れ切っていたり、少女のように生き生きはつらつとしていたり。
 8時前には強烈な日差し、夕日を思わせるどこか柿色。待っても待っても雨が降らない。野や畑ではみぞそばの花々(コンペイトウ)があちこちで帯をなしているが、草にいつもの勢いがなく、鶏に大量の青菜を刈るのも一苦労だ。畑はまるで砂漠だが、大根、カブ、小松菜、かつお菜、白菜と何とか育っている。これらアブラナ科野菜を4年間休ませたのと、鶏小屋に何十年と蓄積された完熟たい肥のおかげだろう。だがこの暑さと乾きが続けばどうなることか。
 夕方4時には日が山に入り、一気に冷たくなった風の奥からかすかに小鳥の声。連日、風呂の水をバケツで畑に運び、種をまいたばかりの春菊、ほうれん草、移植したキャベツ、チシャ、サラダ菜にじょうろで水をまく。ニンニクを植えるため畑に四つん這いになり、枯れ草を除き、みぞそばや犬蓼をむしっていると、いるいる。小さな小さな虫達が。黒く丸いの、テントウムシ模様の細長いの、長い足を大きく曲げて逃げていくの、アメンボウに似た八本足、クモ、アリ、ピンクの粒、飛び跳ねる芥子粒……この小宇宙ではまるで恐竜のような黄と紫の縦模様のトカゲ、丸々と緑色の尺取虫、土色のカマキリ、ミミズ……。
 土を起こさず、草を除かず、この小宇宙を破壊しない「自然農法」が、ますます過酷になるこの地球環境では最も合理的なのかもしれない。
                
 ようやく降り始めた柔らかな雨の音を聞きながら、太陽熱プラス薪の火の湯に浸かった。なんだかふんわりと雲の上でお日様のぬくもりに包まれているような……。

     完  2021年10月16日

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