なんだか一気に年を取った気分だ。五月半ばから六月上旬にかけて、今度はなかなか風邪が離れない。引きはじめは心地よいくらいだった。鼻から喉へと貫く、こそばゆいような軽い痛みと痺れ、なにやら解放的な虚脱感。小学校時代に返ったようだった。学校を休めるあの非日常的安らぎ、伸びやかさ……。今から考えれば、あの束の間のしかし長い一日こそ天国だった。せいぜい三日気持ちよく寝ているだけで治る病気ほど幸せなものもない。老年にさしかかるとそうはいかない。四日、五日と経つうちに、ただ重苦しいだるさだけが沈殿していった。
一週間が過ぎて、風邪と付き合うのにも疲れて、そろそろ出て行ってくれるかなという頃、喉の痛みがひどくなる。数年ぶりに熱を計ったが高くない。晴れが続き、カラカラのほこりっぽさがまた応えた。
だんだんにその痛みは、私の弱点の歯茎へと侵入していった。芋パスター(里芋と生姜をすったのに小麦粉を混ぜた湿布)と、ビワの葉(ただ痛いところに貼るだけ、灸やカイロなどで熱を加えるとより効く)で数日は凌いだが、八日目の夜はほとんど眠れなかった。たまたまその翌日は妻と鍼治療に行く日だった。肩、首、喉、頬に打ってもらった。これが劇的に効いた。久しぶりにほとんど痛まず眠れた。
ああ、痛みのないことのなんという安らぎだろう。この安らぎのためなら、なんだってする。なんだって白状します。
自死が許される一つの場合だろう。拷問にあい、人を裏切り、地獄に貶めるよりはいい。
たいそうな話になってしまったが、たかだか二、三週間、風邪が長引いた位のことで、死を思ってしまった。いつの間にか六十三歳、仮に八十まで生きられたとしても、あと二十年もない。幼い頃の五、六年もあるだろうか。
ただ、けっこう病気とお付き合いしてきたからか、死そのものには親しみさえ感じる。痛む歯茎にビワの葉を押し付けて横になり、じんわりと痛みが薄らぎ、ぐったりと空白に漂う時、死というものは安らぎなんだなあと想う。そこに返るまでが大変なんですよね。この死なせないことに至れり尽くせりの現代日本では。
なんとか快方に向かい始めた頃、降りそうで降らない鬱陶しい日々が続き、いやあ飲んだ飲んだ。できたばかりの自家製グミワイン。ほどよく酸っぱく、ほんのりと甘く、シュパッと天然の泡が爽やかな、山の水を飲んでいる気分。ビールのように腹は太らず、ワインほどには酔わない。飲んでも飲んでも、飲んだ先からきれいさっぱり醒めていく感じ。
ところでこれ、法律違反が犯罪としたら、れっきとした犯罪なんですよね。グミを潰して器に入れて、一、二週間してその液を飲むと、いや器に入れておくだけで。世界でも例がないといわれる悪法、日本国の酒税法によると、自分で酒を作ったら即法律違反なんです。これって憲法違反ですよね。自分の食べるものを自分で作っていけないなんて。明らかに基本的人権を犯してますよね。
どうもしかしこの日本では、税務署・国家イコール公(おおやけ)、酒を作る人イコール自分勝手な「私」ということで、「私」は旗色が悪い。
政府・自民党の改憲の目的の一つは、この公をもっと強くしたいのでは。あの方々の公とは、国家・政府・官僚・役所・財界・巨大企業・原発・軍隊(国防軍?)、それにアメリカ、「正義」の戦争……。
今度の参議院選挙の隠れたしかし最も大切な争点は、この改憲と原発だ。自民VS民主(あるいは共産)ではなく、今の自民に異議申し立てをするか、しないかだ。棄権あるいは白紙投票は現政権への批判票ではなく、支持票になることは先の都議選が証明している。
六月も末になって、堰を切ったように天雨が地上に降り注いだ。朝、五時前、闇に上体を起こし、トタン屋根の轟音に息を潜めていると、なんと自身がちっぽけな存在なのかと、粛然とした思いが沈む。外の青白い夜明けに、雨の雫が冷たく光って落ちている。
土間で茶を飲み、長靴をはき、上下のカッパを着て、外に第一歩、異界への旅立ちだ。
木々の暗い緑を切るように、無数の雨の線が、一面の猛々しい緑の海に吸い込まれていく。あちこちの鶏小屋もその灰色の線にかき消されようとしている。
木々や草々の葉という葉が、かすかなつぶやきを発し、震えている。まさに生命の共振だ。
私たちは、祈りを失ってしまったのではないか。
2013 6・29