9月下旬、夜が急に長くなった。朝の5時半、ようやく薄紫に明け始める。
上の雑木林の中は黒々としている。その入口の草原から響く虫たちの声に包まれて佇むうちに、太い幹や横たわる枯れ木の一本一本が闇から浮き上がってくる。ハッサンは軽々と闇に消え、闇から駆け上ってくる。そろりそろりと歩くうちに闇が抜けていき、細い木々や枝葉、落ち葉、冬イチゴやシダの葉が現れてくる。樫、椎、楠、櫟、小楢、栗、櫨、柴・・・常緑、落葉の大小が混然と密に茂っている。
奥に入るにつれ虫達の声は薄くなる。山の上のあちこちでカラスの伸びやかな声が羽ばたいている。空はすでに明るい。突然、ハッサンがけたたましく太い声を張り上げて駆け下りた。ほとんど同時に3、40メートル先、猪らしき一体が鼻息とも唸り声ともつかぬ声を発してザワザワと現れ、谷へ潜り込むように消えていった。ハッサンは深追いせずにすぐに帰ってきた。谷はもとの静けさに戻った。底から淡い光が泉のように湧き、谷全体が白々と輝いている。見上げると、向かいの山々の際が日の出前の柿色に染まっていた。
彼女(もしくは彼)は栗を求めてやってきたのだろう。彼らのおかげで今年は栗の収穫がいつになく多い。ライバル達に取られてはならじと、珍しく気を入れて私が栗を拾っているからだ。
なにしろ栗は貴重な生きる糧だ。我々人間も、この山の糧を得て、この山に生きている。そのことを他の動物たちに示さなければならない。
とはいえ、あの方々、夜中に活動するので、暗くなって落ちた栗はどうにもならない。朝、拾いに行くと必ず食べたあとの皮だけが残っている。これは猪。鹿は後を残さない。全部食べるからだ。
牛も、山羊もそうだ。わが雑草園の初代の山羊、ジンも目を細め顎を上下左右に大きく動かし、カリコリと小気味いい音をたてて丸ごと食べていた。当時葡萄の木もあった。収穫したばかりのカゴに山盛りの黒紫色の実を、彼女は房ごと口に入れ、逃げながらヘタを吐き出した。負けじと私も日の出前、葡萄畑に行き、朝露に覆われた冷たい葡萄に房ごとかぶりつき皮ごと実ごと食べた。皮の奥から湧く果汁が最高に爽やかだった。
皮がうまい、これは食の原則ですよね。魚・肉しかり。野菜しかり、ごぼう、人参、なす、トマト、大根、さつま芋・・・。果物だって。今年発見したのはいちじく、なにやらジカジカと蕁麻疹が出そうな皮ですが、これが朝、山に行ってちぎったばかりだと、なんともしっとりとしていて、全体を口に含むと、限りなく濁りのない天国の羊羹のよう。
しかし栗拾いも、一週間、二週間と続くと、腰、そして太腿へと疲れがたまってくる。やはり採集生活も楽じゃない。これが野生の栗や、はたまた椎やどんぐりだったら、一日中拾っても、一日分の食糧さえ得られるかどうか。採集から農耕への道は必然だったのかもしれない。農耕の進歩、すなわちより多く、より楽に、も。ただし一定の進歩を遂げた後、「もう一つの道」があったのではないか。どこまでもより多くではなく、労働時間を減らし生命の質を充実させる道が
話は飛ぶが、主夫業はどうだろう。女性が仕事社会に進出するなら、男性は生活社会に進出するのもいい。夫婦の労働時間は半分になる。主夫は食も住も衣も医も共育も遊びも、とにかくできるだけ自身で創る。生活は生き、死ぬこと。これってすべてですよね。いっそ田舎の格安の借家に引越し、畑も借りる。人恋しくなったら、カフェ「草の屋」でも開く。予約制、一日5人が限度、取れたての野菜、卵、果物、きのこ、川魚・・・。ただしふらりと寄った人にも、静かな時間と、清水、茶、コーヒー等は提供する。
さて散歩だが、山を尾根伝いに北の端から南に向かい、帰り道は崖のように急な元段々畑のてっぺんをゆく。見下ろすと、いつの間にか艶っぽいビロード色のススキと初々しい黄緑のセイタカアワダチの花が、あちこちで群生している。それらを凌ぐ勢いで、崖のほとんど一面、大きな手の平のようなクズの葉に覆われている。
この生命感あふれる緑を見ると、また山羊を飼いたくなる。実にもったいないではないか。人間が食えないこの葉を、山羊がうまいうまいと食べてくれて、一日、多い時は2ℓの乳を出してくれるのだから。
老いの日々、山羊に養われるのも悪くないかと、ふと思った。
2013 初秋
追伸
十月に入って、恵みの雨。大根、小松菜、彦島菜、ほうれん草等の芽は出揃い、人参、白菜、ブロッコリーも青々と育っている。野ではヨメナ、ミゾソバ、イヌタデ等が花開き、家の周りにはジンジャーの香が甘い風のように流れている。柿、栗、クルミ、櫨・・・もかすかに色付き始め、すっかり秋色と言いたいところですが、なにやら春のようなけだるい気分。珍しく真面目に働いて、疲れているようです。
2013.10.6