いとほしきかな秋

重松博昭
2014/10/30

 からっと澄んだ青空の下、ウヨウヨと畑じゅうをコオロギ達が跳び回っている。畑を耕さず草を刈って敷いていくだけだと、枯れ草
がふかふかと積っていく。彼ら虫たちに最適の住環境だ。だが不思議とコオロギの大好物のはずの大根、かぶ、かつお菜等々のアブラナ科野菜の新芽はほとんど食われていない。草をきれいに取り除き耕運機で起こす普通農法に比べ、彼等の食い物がふんだんにあるからなのか。 
 ただ、若葉へと成長する頃、いつもの黒い点のような虫が付き、大根葉は破れウチワのようになっていった。こんなこともあろうかと、あちこちに分散して蒔いたのと、このところの寒さのおかげで虫の勢いがガックリと落ち、7割ほどは元気に青葉を茂らせている。播種時期もずらした。9月過ぎに蒔いたのは全滅、20日前のはなんとか回復し、九月末まで待った大根、彦島菜等はほとんど虫の害はない。
 人参は虫に食われたことがない。今年も青々と生きがいい。白菜、チシャ、レタス、キャベツ、ブロッコリーの移植も終了した。キャベツ、ブロッコリーは草に埋もれるようでぽつねんと心細げ、あとは風、というより虫任せだ。
 自然農法に遊んでもらって半年、たいした変りもないように私には感じられる。けっこうやれそう。ただ、プロの農家、それも腕の立つ篤農家ほど、素人でも有能で几帳面な人ほど、なにより心理的・生理的抵抗が強いだろう。草の中に野菜がおじゃましてますといった風なのだから。雑草大好き人間の私でさえ、最初なにかしらすっきりしなかった。耕運機で一面土色にきれいに整備された畑に、サクッサクッと平鍬を入れると、これぞ農業!なのだが、草の間に手や小さな鍬でチョロチョロと溝を切り、種を蒔いても、何をやっているのやら、欲求不満になりそう。草か野菜か、野っぱらか畑か、害虫か益虫かはっきりしてよ。
 要するにマニュアルどおりいかない、画一化、大規模化、機械化ができない、クリ-ンでない、華々しくない、辛気臭い……それを言うならそもそも農業それ自体がそうですよね。工業、商業……ましてマネ-ゲームなどと比べようものなら、月とすっぽん、天と地、ロケットと蟻……
 だからといって蟻がロケットを目指す必要もない。画一化、大規模化、機械化を際限なく進めれば進めるほど、単位面積当たりの収量は落ちる。農薬、化学肥料、そして石油、電気等の使用量は増える。農地が無限ならともかく、地球全体を見てもむしろまともな農地は減りつつある。水不足も深刻だ。
 なによりも余りにももったいないと思う。こんな素晴らしい営みを機械に代わりにやってもらうのが。
 野に両膝をつき、両腕ごと草や土の中に入っていく。それだけで身も心も落ち着く。生きる重さに押しつぶされそうな自身の弱い心を、覚めた目で見つめることができる。小さな小さな緑色の虫一匹が、生きる力を与えてくれる。光と風に生きる喜びがあふれている。
 急がなくていい。競争しなくていい。誰かを蹴落とさなくていい。比べなくていい。フツーでなくていい。上から見下すことも、見下されることもない。
 生きるための厳しい闘いはもちろんある。だがそれは詰まる所、自身との闘いだ。
 自身が生きるために必要なものを全身全霊で創っていく。余ったものは誰かに贈呈する。仮にそのお返しにお金を頂いたとしても、それもまた贈り物だ。あるにこしたことはないが、ないならそれまでのことだ。与えられたものでなんとか生きていけばいい。なんて軽々としてるんだろう。なんて自由なんだろう。農という営みは。
 農が業になり、競争と管理・監視が持ち込まれ、農村社会ががんじがらめにされたのはいつからなのだろう。もし自由・自立の開放的創造的農が営まれていたなら、あれほど雪崩を打っての都会への民族大移動はなかっただろう。より多く、より早く、より楽にをどこまでも求めるなら、農業なんてやってられませんよね。

 秋の緑は、そしてやがて枯れゆく姿も、凛として淀みがない。終わりに近付いたミゾソバ、イヌタデ、セイタカアワダチの花々の縁際もきりりと小気味いい。山椿の濃い緑のあちこちで蕾が開きかけている。 
 今年は栗が豊作だった。里芋も出来がいい。どちらも古来、重要な食糧だったとか。山の精とでもいうか。祈るように食する。栗の濁りのない締った甘み、里芋の緻密なやすらぎ・・・。オクラとインゲンは種を取った。ゴマは、熟れて枯れたサヤからちぎり、日に干し、実を取り出し、風選する。さっそく小さなフライパンで炒り、すり鉢ですった。家中に香が匂った。えもいえぬ香ばしい美味、と書く予定だったのだが、焦がして苦くなってしまった。それでも口の中でグニョグニョとやっているうちに、深い甘みがにじみ出てきた。どぶろくに合う。

 夕闇にジンジャ-の白い花々が浮き上がり、その香が微かな風のように流れている。今年も生姜は不作だった。ジンジャ-(生姜)というからには、葉か茎か根か生姜の代わりにはならないんですかね。

        2014   10・26

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