七月上旬のある夕、この小宇宙の果てから果てまでを分厚く覆い尽くしていた雲がふっと割れた。その奥をゆったりと灰白色の雲が流れ、さらにその奥を、ちぎれ、裂け、いろんな形になった雲たちが超スピードで走り過ぎていく。そのバックに、巨大な氷山のような雲が冷たく光っていた。
翌朝、雲一つない。奈落の底に吸い込まれるように天海が一気に深くなった。そして天の鉄槌のような圧倒的日差し。
七月半ば、畑が干割れている。それにも増して鹿の害が深刻だ。落花生、インゲン、キウリ、ナス、オクラ、モロヘイヤ、ツルミドリ、人参、バラ・・・。ご参考までに、今の所一口も食われていないのが、ねぎ、ニラ、しそ、ごま、ゴーヤ、ヤーコン、パセリ、バジル。一番応えるのが大豆と小豆だ。なにしろ主食同然の重要作物、あちこちに全部で2アールほど、うちとしてはかなりの面積に、梅雨の末期妻がせっせと蒔いた。その新芽をずらりと食べられた。
残りの7割ばかりを守るため、急遽ホームセンターから、ポリエチレン製、幅1m、長さ50mのネットを3本買ってきて、竹を杭にして畑を囲った。
1日、2日と無事に過ぎ、3日目の朝、トウモロコシ、インゲンが倒され、食われ、ナスの敷き草がひっくり返されていた。ミミズを探したのだろう。鹿ではなさそう。
といって猪にしては仕事が半端だ。ネットの下から入ったようだ。
その夜9時過ぎ、土間のハッサンが吠え立てた。戸を開けると唸りながら飛び出、闇の山に溶け込んでいった。夜中12時、ハッサンは丸太小屋の前に座り、西の山の方を見つめていた。朝の4時半、暗い。当たり前のことだが既に日が短くなっている。かすかに明け始め、私は土間に下りた。ハッサンが家の前の車の下に向かって盛んに吠えている。狸がいる。牙をむき出して必死の応戦。隙を見て狸は竹やぶに逃げる。ハッサン追う。野ばらの茂みに潜り込んだ狸に、ハッサンは1時間以上吠えた。ぴたりと声がやんだ。行ってみると敵は息絶えていた。外傷はない。狸ではなく穴熊だった。口が長く突き出ていた。猪同様雑食とか。畑を荒らしたのはこの穴熊だろう。
その1時間後、ハッサンの口元から血が垂れ、テニスボールを頬張ったほどに顎が膨れ上がった。病院に行くと、咬んだのは穴熊ではなくマムシだった。夢中で草むらを疾走している時に遭遇したのだろう。おかげで彼女は三日ほど静養を余儀なくされた。
その最後の夜、ハッサンが外に向かって吠えたが出さなかった。翌朝、大豆と小豆はほとんど食われていた。妻はこの世の終わりとばかりに悄然と肩を落とした。早急に本格的な柵を作らないと、8月9月の秋冬野菜の種まきもできない。
悪いことは続くもので、ひょいとテーブルを持ち上げたとたんに腰のどこかがグビリと外れた感じ。立ち上がるのもやっとだ。2、3年に一度の持病になってしまった。さらに喉のいがらっぽさと鼻炎も治りきっていない。アア、温泉にでも行って、1、2週間、朝寝、朝酒、朝湯・・・とはもちろんいかない。それに私の場合、休んだらいよいよ動けなくなる。
息を吐きながらゆっくりと上体を後ろと前に曲げる。気持ちいい方に気持ちいい程度で止まり、フット力を抜く。ついで同じく左右に、曲げる方ではない足に重心を置いて。さらに左右に回す。回す方の足に重心を置いて。「操体法」の初歩の初歩、本で覚えた我流だが、これが効く。焦らず、ゆっくり、何度でも。仕事の途中、座っていて立ち上がった時、風呂の前後、寝る前、起きてすぐ急がずに・・・。
仕事をしながら治す気分で。中腰ではなく四つん這いがいい。できるだけ膝をつく。あぐらをかいたり椅子に座るより正座がいい。歩くのが一番いい。早く片付けようとしない。30キロをいっぺんにではなく、10キロずつ三回で、休み休み。
どうにか最低限の仕事をこなしていった。朝の5時から8時まで。あとは木陰で昼寝に読書。畑が木陰に入った時や、日が雲に隠れたとき、出動、まず竹の杭と古トタンで畑を囲っていく。次に海苔網と買ってきたネットで補強、高さ1m半ほどの柵を作っていった。
しかしこの連日の日差しの重さはどうだ。大喜びの方々もいるかもね。
「やっぱり頼りになるのは原発ですよ。」
実は頼りになるのは、このお天道様の光なんですよね。それと空気、水、緑、土・・・。これらが私たちの生存に不可欠なほとんどすべてを創っている。コンクリートジャングルでは、もっぱら加工と消費だけ、自らの廃棄物さえ始末できない。
八月に入って、いっそう日差しは強烈に、木陰の風は涼に。
いつの間にか腰痛も鼻炎も喉の違和感も消えていた。柵づくりは遅々とだが進んでいる。どうも怠け者の私の場合、適度な危機感・緊張感での仕事が一番の薬のようだ。
夕暮れ時、蜩の波の奥から、ツクツクボウシの風が流れてきた。
2013 8・2
追伸
いよいよ卵が少なくなってきました。卵屋廃業の日が近づいてきました。数ヶ月先か一年先かわかりませんが。
鶏さんたちは木陰で暑さにめげず暮らしていますが、なにせお年寄りが多く、生きるだけでも大変です。
この鶏さんたちと、最後まで付き合ってくださる皆様方に、ただただ感謝です。