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笑うツーリズム
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モノづくり産業とクラフトツーリズムの融合で進化する波佐見の現状と未来  日本では新型コロナウイル…もっと読む
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旅にでて日々ひとを好きになる
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旅にでて ひとに会い日々を 好きになり見知らぬ 自分に出逢った   南北アメリカ大陸縦断のあと、…もっと読む
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うさぎ飼い
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三島事件その心的基層
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三島事件から五十年その深層を読み解く  徴兵検査第二乙種合格二十歳の平岡公威=三島は、兵庫で入隊…もっと読む
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写真でたどる福岡県の戦後75年
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記者と市民が撮った231点の写真で綴る福岡県の戦後  空襲・敗戦・進駐軍・引揚・炭鉱・産業・公害…もっと読む
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デューラーと共に
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五百年の時を超えたオランダネーデルラントとの出会いの旅  旅することは、思考し、回想し、もうひと…もっと読む
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話題の既刊

医者井戸を掘る 中村哲 井戸 石風社 イスラム ペシャワール アフガン アフガニスタン NGO 中村 国際化 井戸 旱魃
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医者 井戸を掘る
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14刷準備中(2021年1月追記)
医者 井戸を掘る

「とにかく生きておれ! 病気は後で治す」


【2002年日本ジャーナリスト会議賞受賞】
大仏破壊、同時テロ、そして報復。……混迷窮まるアフガニスタン。そこでは戦乱と大旱魃の中で400万人が餓死線上にあった。現地で六百本の井戸を掘り、大旱魃と闘い続ける一日本人医師の緊急レポート。
テロ事件・旱魃・大仏破壊……危機のアフガンに千の井戸を掘る!!

書評

アフガン旱ばつ──17年の闘い

森まゆみ

 この八月に、アフガニスタン国境地域で十七年、無償医療を続けている中村哲医師に出会い、話を聞いた。日本ではアフガンやパキスタンの情報はきわめて少ない。昨年夏から今年にかけての旱ばつで、百万人近くが餓死寸前、いまも数百万人が生死の境をさまよっているという。それはもう想像を絶する話だった。
 その報告が本書である。
 中村氏はカラコルムへ山登りにいってその自然の美しさと悲惨な医療環境に打たれ、ペシャワールに赴任し、らい(ハンセン病)のコントロール計画に携わった。そこを根城にアフガンにも入って巡回医療をし、診療所もつくっている。現地の人と協力してハンセン病のほか、コレラ、マラリア、結核などの感染症と闘ってきた。
 しかし未曾有の旱ばつで医療どころではない。戦乱も続く地にさらに今年一月、「国連制裁」が発動され、情況はさらに悪化した。
 中村さんたちは、医療よりもとりあえず水だ、と井戸掘りの専門家に来てもらい、枯れはてた水路(カレーズ)を修復し、井戸を掘りはじめた。地球温暖化によりヒンズークッシュ山脈に雪が降らなくなる。その雪解け水を生活用水としている人びとには死活問題だ。その雪は深く地中にしみ入り、地下水となって井戸に湧く。その水位もずっと低下しているという。日本を含む「先進国」が豊かな生活をし、CO2を空気中に排出し、めぐりめぐって雪が降らなくなるのだ。
 獅子奮迅の働きにより、数百の井戸が掘られ、カレーズに水が流れ、ダラエヌール渓谷のひびわれた土地が緑に覆われる。成功例ばかりではない。壁の崩落、酸素不足の事故、堕落したNGOの妨害、うまくいかぬ物資輸送。
 九月十一日のテロとアフガン空爆以降、中村氏は時の人となった。わき出た評論家と違い、長い地道な活動からの発言は重い。「人道的」に難民を救う方が派手だ。しかし「そこに生きておってくれ」、難民を出さないことが大事だ、と著者たちは井戸を掘りつづける。

欧米主導に代わる多元的支援を訴え

古田隆彦
現代社会研究所所長

 同時多発テロでアフガニスタンへの関心が高まっている折、本書の著者にはマスコミの注目が集まっている。非政府組織(NGO)を率いて、パキスタンとアフガニスタンで一つの病院と十の診療所を運営する、現地事情に最も精通した医師であるからだ。
 だが、本書は報復問題を扱ったものではない。昨夏、アフガニスタンを襲った大旱魃に際し、手弁当で多数の井戸を掘った著者たちの、苦渋に満ちた奮闘記なのである。タリバン政権と反タリバン勢力間の内戦、近代的な掘削機をよせつめぬ巨礫層、地元井戸掘り業者の妨害など、多発する難問に果敢に挑戦する姿には強烈な使命感が溢れている。
 その一方で、膨大な難民の発生に手をこまねく国連の無力さやその関連機関の横柄な官僚主義、あるいは欧米NPOの功名争いや縄張りといった、従来の美名を覆す実態も紹介される。このためか、著者のアフガニスタン観はこれまでの定説をはるかに超える。
 人権侵害の権化とされるタリバン政権についても「保守的なイスラム慣習法を全土に徹底し、それまでの無政府状態を忽ち収拾、社会不安を一掃した」と、一定の評価を与える。バーミヤンの石仏の破壊でさえ、日本に非難する資格はない、と断言する。大旱魃の原因は先進国の生み出した地球温暖化であり、打ち続く内乱も大国の思惑によるものだ。
 タリバンに国連制裁を加えた国際秩序でさえ、「貴族国家のきらびやかな生活を守る秩序」にすぎない。結局、先進諸国の富と武器への信仰こそが「偶像崇拝」であり、仏像以前に「世界を破壊」している、と逆に批判する。
 欧米発の情報に偏りがちな昨今、著者の指摘はまことに尊い。今後著者らの活動を活かしていくには、日本が先頭に立って、欧米主導の一元的な援助・開発に代わる、より多元的な支援方法を構築することが必要だろう。近代的な掘削機械よりハンドメイドの井戸掘りの技術の方が、ずっと役立ったように。

報道されない現実・アフガン問題の本質に触れる

田口淳一

 パキスタン、アフガニスタンで十七年にわたり医療活動を続けている福岡県出身の医師中村哲氏が最近出版した『医者井戸を掘る・アフガン旱魃との闘い』を読みながら思い当たらせたのは、九月以来の国際事件の衝撃性を前に、見失っていたものがありはしないかということである。
 私たちが目の当たりにしたのは、もろくも崩れ落ちる高層ビルとともに数千人が犠牲になった米同時テロの光景だった。胸のうちを激しく波立たせた脅威はおそらく、その規模の大きさゆえだったろう。だが、引き続くアメリカによるアフガニスタン空爆で相次ぐ民間人の死が報じられるのに接しながら、徐々に変化していくものを感じた。
 被害の甚大さに目を奪われ、一人一人の死を見落としていなかったろうか。ビルには直前までビジネスマンの日常があり、アフガンの空の下にも仕事をし子供を育てながら暮らす人々の営みがあった。そして、それら一人一人の、固有名の、掛け替えのない具体的な生が突然に奪われたのが事実である。従って数千人であるか、数十人かという数も個々の死を意識して初めてリアリティーを呼び覚ますのではないか。
 中村氏の新刊本は、昨年六月以来の深刻な干ばつに対するペシャワール会医療サービス(PMS)の「一年間の苦闘の記録」だ。
 夏に解け出す山脈の氷雪に水源を依存するこの国で積雪量の激減という異常気象が干ばつの予兆としてあり、赤痢による幼児たちの死の原因を探ると、ききんに伴う栄養失調や飲料水不足に突き当たった。「医療以前」の問題として、中村氏率いるPMSにとって「井戸を掘る」ことは必然的な課題となっていく。
 ときに銃声にさらされながら、道具を改良し独自の井戸枠も開発、地中の「子牛ほどの巨礫」と格闘し、利用可能な井戸を五百五十二か所(八月現在)に確保、千か所を目指している。
 それは一人一人が生かされる道を探る取り組みであったが、その積み重ねが二十万人の難民化を防ぎ、一万数千人を帰村させることになった。「お手軽で派手な『人道的支援』」ではなく、「難民を出さぬ」ことが肝要という中村氏らの明確な姿勢が導いた結果だったとも言える。
 中村氏の批判は、未曾有の干ばつに農業さえままならず飢餓に直面するこの国の現実が「情報社会の外」に置かれていたことにも向かう。報じられない世界は、現実として認識されることもない。そこに確かに暮らしがあるのにである。
 困難と立ち向かい井戸を掘り続ける経緯を通して、この本に描かれているのは、〈アメリカ対タリバン=ビンラーディン〉〈正義対悪〉といった単純化された図式では埋もれてしまうアフガンの人々の日々の営みである。一つ一つの記録は、正義は言葉ではなく、破壊的でない建設的な実践そのものの中にあるのだとも迫り、ゆっくりと胸底に染み入ってくるような揺るぎ力を感じさせる。
 多くの日本人の想像力が及ばなかった国で、現地の人々と手を携えた日本人の活動は根を下ろした。その象徴でもある井戸は、空爆下で一体どうなっているだろうか。「瀕死の小国に世界中の大国が束になり、果たして何を守ろうとするのか」と中村氏は問う。これまで知らないままきたアフガン問題の本質に触れる意味でぜひ読まれるべき一冊である。千八百円。

『医者井戸を掘る』「読売新聞」2001年11月12日

生を問うアフガニスタン報告

鎌田慧
ルポライター

 湾岸戦争のときと同じように、地上の目標物に命中する米軍ミサイルの映像が、テレビで放映されている。
 テレビゲームのように、それを見ていても何の感情もおぼえないが、確実に人間が殺されている。そればかりか、空爆から逃れようと、何千何万にのぼる難民が国境に殺到している。
 アフガニスタンで十七年間、医療活動をつづけてきた著者のこの克明な報告を読んだあとだけに、負傷、病気、飢餓など、家族を抱えた人々の恐怖と不安、これから厳冬を迎える中での生死を想像すると、胸ふたがる思いにさせられる。
 昨年の夏からはじまったのが、中央アジアの大旱魃だった。著者の中村さんは、非政府組織(NGO)である、ペシャワール会医療サービス(PMS)の医者として、パキスタン北部とアフガニスタンの山岳地帯で、医療体制の確立とハンセン病根絶の運動をつづけていた。
 ところが、旱魃による砂漠化は、ききんによる栄養失調、赤痢や疫痢の発生ばかりか、挙家離村の膨大な難民を生み出した。そこでは治療よりも、生命の泉としての井戸掘りが必至の課題になった。
 それは荒廃地を沃野にもどし、生命を支える大事業だった。が、旱魃の被害にはまったく無関心で、援助の手を差し伸べることなどなかった大国が、今度は空爆によって大量の死者と難民を生み出している。
 この本は、自衛隊の参戦決定前に書かれたものだが、「平和憲法は世界の範たる理想である。それをあえて壊つはタリバンに百倍する蛮行にほかならない」とある。日本はアフガニスタンの人たちにとって、戦争をしない国として尊敬されていた、という、その「名誉ある地位」が、泥沼に落ちかかっている。
 ひとりでも多くの生命を救おうとして体を張ってきた医者と、ひとりでも多くを殺そうとする軍人や政治指導者とは、絶対相いれない存在である。この時期、きわめて明快になった真理である。

「京都新聞」2001年11月4日

アフガニスタン、医者からの警告・中村哲氏への手紙──

佐高信
「佐高信の政経外科」

 拝啓 中村哲様
 福岡にある石風社から、中村さんの新刊『医者井戸を掘る』を贈ってもらいました。オビには「孤立するアフガンで診療所をつくり井戸を掘る」とあります。そして、「とにかく生きておれ! 病気は後で治す」と。これは中村さんの言葉ですね。
 パキスタンやアフガニスタンで十七年間も診療を続けてきた中村さんの重みが行間から伝わってくる本です。しかし、私より一歳下のあなたは、テレビで見る限り、むしろ、飄々とした感じですね。肩ひじ張った使命感では、とても、これまで続けてはこられなかったのでしょう。
 賽の河原の石積みにも似た医療と井戸掘りをやりながら、「訳もなく哀しかった」と思ったら、五十四歳の誕生日だったという述懐に私はとても共感しました。
「こんな所でウロウロしている自分は何者だ。……ままよ、バカはバカなりの生き方があろうて。終わりの時こそ、人間の真価が試されるんだ……」と中村さんは思ったとか。
 大旱魃の地で苦難の闘いを続ける中村さんに自分をなぞらえては失礼ですが、お互い、それ以外の生き方はないということですね。
 中村さんがリードするPMS(ペシャワール会医療サービス)がカブールへの診療チーム派遣を決め、ジャララバード郊外まで来た時、タリバンの兵士が行き先を尋ねるので、
「カブール」
 と答えると、目を丸くして、
「続々と外国人が逃げてくる中で……」
 と絶句したという記述に私も感激しました。
 久しぶりの沢庵に歓声をあげ、せめてカップラーメンでもあればと嘆く日本の青年たちが中村さんと行動を共にしているわけですね。

 〈平和憲法は「日本国民を鼓舞する道義的力の源泉」〉

 一九九七年にはタリバン代表を日本に招いたり、九八年には、「アフガニスタン支援国会議」を東京で開いたりした日本政府が今年の一月に国連が行った「タリバン制裁決議」に参加したことを中村さんは怒っています。確かな現地の情報に基づいて行動していないというわけでしょう。
 中村さんの指摘をそのまま引かせてもらいます。
「マスード軍閥など、反タリバン勢力への武器援助は、公然と黙認されていた。ロシア、イランは大掛かりな補給を北部で行っていた。マスード個人は確かに開明的で、欧米筋に人気があった。だが、現場のわが方から言うと、あの旱魃の最中にその混乱に乗じるように、ダラエ・ヌールを戦場にしたのは許しがたい。その上、戦闘員ならともかく、こともあろうに作業中のカレーズに地雷を埋設して四名の農民が爆死、作業を遅らせた。我々には面白かろうはずがない。さらに、マスードの部下が、タリバン進駐前のカブールで婦女暴行をほしいままに行ってひんしゅくを買っていた事実を、どれだけの『マスード・ファン』が知っていただろうか」
 いまも、情報は圧倒的に「欧米筋」のものばかりなのでしょうね。そして、小泉純一郎もそちらの筋の人気だけを気にしている。それに対し、「現在アフガニスタンで進行する戦慄すべき事態は、やがて全世界で起きうることの前哨戦に過ぎない」とし、あえて、「平和憲法は世界の範たる理想」だと言い切る中村さんに私は大いなる賛意を表します。平和憲法は「日本国民を鼓舞する道義的力の源泉」なのであり、「戦争以上の努力を傾けて」、その理想を主張しなければならないという言葉は、とても説得力があります。

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命の水でアフガン支援

中村輝子
立正代客員教授

 いま、世界の最貧国アフガニスタンの地に、欧米諸国の最新鋭軍団が襲いかかっている。九月の、悪夢ような同時テロ事件への報復戦。この小国は、昨年から、異常な大旱魃、国連制裁で生存の危機にさらされている。そして「自由と民主主義」を守るという戦火の先は見えていない。
 この本の著者、中村医師は、パキスタン北西辺境州に設立したPMS(ペシャワール会医療サービス)を本拠に、両国の貧民、難民の医療活動を各地で行って十七年。厳しい自然と戦争による荒廃地で、国際社会から忘れられた民の生死をそこで見続けてきた。日本の市民の募金に支えられて。
 いまアフガンの苦境を語れる人は彼をおいていないだろう。実態報告ともいうべき本書は、大旱魃で水が枯れ、疫病がはやり、離村が進む昨夏から、「緑化させれば難民化しない」との信念で猛然と取り組んだ井戸掘りの苦闘物語だ。
 素人集団をまとめる二十代の蓮岡青年、西アフリカから飛んできた井戸掘りのプロの中屋氏、さらに数人の日本の若者たちが、現地の職人、村人らと知恵と技を尽くして掘削作業に当たり、なんと六百近い井戸を新設または再生させた。
 ひたすら、命の水を彼らに、の思い。国連や諸外国の官僚的干渉や本腰を入れていない支援との確執をはねのけて、PMSは住民の一部となり、絶対の信頼をかち得ている。
 これこそ平和主義に貫かれた無欲の扶助の精神ではないか。バーミヤン仏跡破壊で現政権に憎しみをかき立てている人々に、医師はお互いの心の中に築かれるべき文化遺産は何か、と問う。国際政治を干からびた大地から冷静に見る人の目がそこにある。
 ともあれ水源確保は二十万人の難民化を防止した。しかし、拡大する空爆は多くの井戸を破壊したかもしれない。厳冬を控え、国際社会は彼らの難民化を期待しているよう、との医師の言葉は痛烈にひびく。

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世界の真実、この一冊に──井上ひさしの読書眼鏡

井上ひさし
作家

 ごく稀に、「この一冊の中に、この世のあらゆる苦しみと悲しみ、そして喜びが込められている、ひっくるめて、世界の真実がここにある」と、深く感銘をうけ、思わず拝みたくなるような書物に出会うことがあります。中村哲さんの『医者井戸を掘る』(石風社)は、まちがいなく、その稀な一冊でした。
 中村さんは一九四六年、福岡市の生まれ、ここ十八年間、パキスタン北西の辺境州都ペシャワール市を拠点に、ハンセン病とアフガン難民の診療に心身を捧げている医師で、略歴にはこうあります。
〈パキスタン側に一病院、二診療所、アフガン国内に八診療所を持ち、年間二〇万人を診療するNGOペシャワール会の現地代表〉
 この中村さんが日本の青年たちや現地七百の人たちと、アフガニスタンに、千本の井戸を掘ることになったのは、昨年夏にユーラシア大陸中央部を襲った史上空前の大旱魃のせいでした。その被害はアフガニスタンにおいてもっともひどく、〈千二百万人が被害を受け、四百万人が飢餓に直面、餓死寸前の者百万人と見積もられた(WHO、二〇〇〇年六月報告)〉
 幼い子どもたちの命が赤痢の大流行で次々に奪われて行くのを診療所で目撃した中村さんは、その原因が旱魃による飲料水の不足によることを突き止め、こう決心します。
〈医師である自分が「命の水」を得る事業をするのは、あながち掛け離れた仕事ではない……〉
 こうして中村さんは、もちろん診療行為をつづけながらですが、有志と力を合わせて、必死に井戸を掘りはじめる。これはその一年間の苦闘の記録です。
 すぐれた書物はかならず、巧まずして読み手の心を開かせるユーモアを内蔵しているものですが、ここにもたくさんの愉快なエピソードがちりばめられています。たとえば井戸をほる道具がそう。五十米、六十米と掘り進むうちに、牛ほどもある巨石にぶつかる。これを取り除くために、石に穴を穿ち、そこに火薬を詰めて爆破しなければならないが、現地人担当者は、なんと内戦中、ソ連軍を相手に活躍したゲリラの指導者の一人で、
〈したがって、爆発物の取り扱いには慣れていて、大いに活躍した。埋設地雷やロケット砲の不発弾に上手に穴をあけて火薬をかき出す。その入手経路は彼が引き受けて調達した。同じ爆破でも、相手が人間の殺傷ではなく、逆に(人間を)生かす仕事であったから、生き生きと働いた。〉
 また、石に穴を穿つ道具は、なまなかのノミではすぐ使えなくなってしまう。そこで、
〈ノミは(ソ連軍が遺棄して行った)戦車のキャタピラの鋼を使い、強靭で摩耗が少なくなった。地雷や戦車もこうして「平和利用」となり、あの戦乱を知る者は多少溜飲を下げた。〉
 中村さんたちの得た報酬はなにか。現地の作業員が一人、亡くなったことがある。滑車で跳ね飛ばされて、井戸の底に墜落してしまったのだ。お悔やみに出かけた中村さんたちに、作業員の父親が云う。
〈「こんなところに自ら入って助けてくれる外国人はいませんでした。息子はあなたたちと共に働き、村を救う仕事で死んだのですから本望です。全てはアッラーの御心です。……この村には、大昔から井戸がなかったのです。皆汚い川の水を飲み、わずかな小川だけが命綱でした。……その小川が涸れたとき、あなたたちが現れたのです。しかも(その井戸が)一つ二つでなく八つも……人も家畜も助かりました。これは神の奇跡です」〉
 こういう言葉を報酬として、そしてそれに励まされながら、中村さんたちは井戸を掘りつづける。読み進むうちに、わたしはひとりでに、アフガニスタン全土に井戸のポンプが立ち並ぶ日のくることを祈っていました。この無償の行為が天に届かぬはずはない。

2001年10月28日「読売新聞」

医者、用水路を拓く 中村哲 アフガニスタン アフガン らい ハンセン ペシャワール 石風社 中村 国際 NGO 用水路 井戸 イスラム
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医者、用水路を拓く
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武器ではなく、命の水を! 9刷準備中(2021年1月追記)
医者、用水路を拓く

「百の診療所より1本の用水路を!」


白衣を脱ぎ、メスを重機のレバーに代え、大地の医者となる。──パキスタン・アフガニスタンで1984年から診療を続ける医者が、戦乱と大旱魃の中、1500本の井戸を掘り、13キロの用水路を拓(ひら)く。「国際社会」という虚構に惑わされず、真に世界の実相を読み解くために記された渾身の報告。

書評

アフガンで苦闘、ついに緑が蘇る

志葉 玲
ジャーナリスト

 残念ながら、現在ほど「国際貢献」という言葉が欺瞞を伴って使われる時は無かっただろう。二十年余りもアフガニスタン支援に携わってきた著者の中村医師は、本書で繰り返し訴える。「殺しながら救う援助はない」「自衛隊の派遣は有害無益。大旱魃で飢える人々を救うことこそ必要だ」と。米軍がモスクや学校への「誤爆」を続ける一方、懐柔策としての援助を行うことで、本来の援助団体までも、現地の人々から不審の目を向けられ、襲撃される。筆者自身、イラクでの取材中に「自衛隊を送った日本は敵だ!」と罵声を浴び、地元の若者達に銃を突きつけられたことがあるが、同様の問題は、アフガニスタンでもやはり起きていたのだ。
 だが中村医師は卓上の議論ではなく、その行動で欺瞞を打ち破り、現地の人々の信頼をかちとっていく。それが本書の主題である用水路建設だ。地球温暖化の影響で、急速に失われた水を、農地に戻す。「百の診療所よりも一本の用水路を」と、全てを捨てて奮闘する著者の姿にはただただ敬服するしかない。
 工事は決して容易なものではなく、大雨や土石流、水路の決壊など数々の困難に直面する。その上、中村医師を含め作業チームは皆、大規模工事の経験は無く、日本でのような資金・物量に頼る工法も使えない。自然に翻弄され、無い無い尽くしの中、悪戦苦闘する中村医師らは、現地の人々の知恵や技術、そして日本の伝統の治水技術に活路を見出していく。そして、ついには荒廃した大地に見事、緑を蘇らせるのだ。
 本書を読む人は、真の「国際貢献」とは何か、いかに平和を創り出すのか、考えさせられるだろう。絶望に抗い、未来を切り開く勇気を与えられるだろう。そして、自然の偉大さと恐ろしさ、地球環境の破壊が何をもたらすかを知るだろう。これは人間・中村哲の物語であるだけではない。迷走する日本社会に活を入れる好著なのである。

人間として何をなすか

上野 朱
古書店主

「ドクター・サーブ」こと、中村哲医師。パキスタン北西部のペシャワールを拠点とした医療活動や、『医者井戸を掘る』ほか多くの著書でも知られる人物だが、その中村医師がいまだ紛争絶えぬアフガンで、今度は井戸ではなく全長十三キロの灌漑用水路(第一期工事として)を切り拓くという難事業に挑んだ「我々の武器なき戦」の記録である。
 なぜ医者が井戸や用水路を掘るのかについて中村医師の答えは根源的且つ明快だ。安全な飲み水が確保され、灌漑で農地が甦って食糧が自給できるようになれば病気は減る、と。そこには「○○国を民主化する」や「わが国の援助は感謝されている」といった「……してやる」式のおごりや押しつけは微塵もない。
 その地には何が必要か、人々が真に求めるものはなにかを見極め、困難に臨んで「気力ヲ以テ見レバ竹槍」と、自ら矢面に立って実行する肝力溢れる人間の姿は、正しい意味での任侠道を見る思いだ。どこの世界に米軍ヘリの機銃弾の下や濁流寄せる中洲に立ち、ユンボで巨石を運んでいる医者があろうか。
 当然の事ながら中村医師は治水工事の専門家ではなく、現地には機材や資材も不足している。あるのは二十余年にわたる活動で得た信頼と、その信頼の下に集まる人材である。その主体はなんといってもアフガン人自身。そうでなければ支援もひと時のブームにすぎないとの指摘には、耳の痛い向きも多かろう。
 造っては崩れ、崩れては補強しながら水路は伸びていく。工事の要衝に、筑後川・山田堰(せき)の知恵が活かされているのも嬉しい。人の苦労を面白いといっては申し訳ないが、読んでいる自分まで、シャベルのひとつも握っているような気にさせられたのも事実である。
 工期四年、ついに命の水は貯水池に到達する。歓喜して水と戯れる子どもたちの群の中にドクター・サーブは何を探したか。これは読者のためにとっておこうと思う。「地の塩」を実践する人には頭を垂れるしかない。本書を貫くのは、「日本人として」ではなく「人間として」なすべきことは何か、なのだ。

素人が治水工事6年半の記録

池田香代子
翻訳家

 アフガニスタンで二十年以上医療に携わっている医師が、気候変動に伴う大旱魃に直面し、広大な土漠の一大灌漑事業に挑んだ。その六年半の記録である。開始は二〇〇一年九月。その翌月からこの国は、米国を襲った9.11テロへの「報復」として、攻撃にさらされることになる。
 そんな戦争やいわゆる復興支援を含む国際政治を、著者は「虚構」と呼ぶ。そこには軽蔑と絶望、そして決意がこもっている。なぜなら、著者の前には、二千万国民の半数が生きるすべを失った現実が広がっているのだから。日本の振る舞いには気疎さが募るばかりだ。
 巨大な暴れ川と過酷な気象を相手に、ずぶの素人が治水工事にあたる。資金は日本からの浄財のみ。機材も資材もごく限られている。著者は、出身地の九州各地を歩いて江戸時代の治水を研究し、現代アフガンにふさわしい技法を考案していく。現地が保全できない現代工法は採るべきではないとの考え方だ。非業の死を遂げた先人の多いこともさらりと書きしるす。水は諍(いさか)いの種だった。
 著者も、治水を巡る対立の矢面に立つが、長年培った交渉術で味方を増やしていく。著者のまなざしには、石や土を相手の伝統的な技量をごく自然にもちあわせ、愚直なまでに信念を貫くアフガン農民への尊敬の念と、弱く愚かな人間への、ちっとやそっとでは断罪に走らない懐の深さとユーモアが感じられる。
「人を信ずるとは、いくぶん博打に似て」と達観する著者は、激高した老人に投げつけられる土埃にまみれながら、「おじちゃん、落ち着け! 話せばわかる」と声をかけるのだ。
 去る者、終始離れぬ者。あるときは敵対し、またあるときは協力を惜しまぬ者。さまざまな人間たちのただなかに、著者は命がけで立っている。その姿は著者の祖父、玉井金五郎をほうふつとさせる。この名親分を小説「花と龍」に活写した火野葦平は著者の叔父。著者には、弱きを助けるという本来の任侠の血が流れている。
 決壊また決壊、予期せぬ出水。重責を引き受けての難しい決断。過酷な労働。人はここまで捨て身になれるのか。土木工事の顛末を夢中で読んだのは初めてだ。

旱魃に立ち向かう驚くべき行動力

養老孟司

 著者はもともと医師である。二度ほど、お目にかかったことがある。特別な人とは思えない。いわゆる偉丈夫ではない。
 最初にお会いしたとき、なぜアフガニスタンに行ったのか、教えてくれた。モンシロチョウの起源が、あのあたりにあると考えたという。その問題を探りたかった。自然が好きな人なのである。
 そのまま、診療所を開く破目になってしまった。診療所は繁盛したが、現地の事情を理解するにつけて、なんとかしなければと思うようになった。アフガン難民を、ほとんどの人は政治難民だと思っている。タリバンのせいじゃないか。それは違う。旱魃による難民なのである。二十五年間旱魃が続き、もはや耕作不能の畑が増えた。そのための難民が、ついに百万人の規模に達した。それを放置して、個々人の医療だけにかかわっているわけに行かない。
 海抜四千メートルほどの山には、もはや万年雪はない。だから川も干上がる。しかし七千メートル級の山に発する流れは、いまも水を満々とたたえて流れてくる。そこから水を引けばいい。水を引くといっても、医者の自分がどうすればいいのか。
 驚くべき人である。寄付で資金を集め、故郷の九州の堰(せき)を見て歩く。現代最先端の土木技術など、戦時下のアフガンで使えるはずもない。江戸時代の技術がいちばん参考になりましたよ、と笑う。必要とあらば、自分でブルトーザーを運転する。この用水路がついに完成し、数千町歩の畑に水が戻る。そのいきさつがこの一冊の書物になった。
 叙述が面白いも、面白くないもない。ただひたすら感動する。よくやりましたね。そういうしかない。菊池寛の「青の洞門」(『恩讐の彼方に』)を思い出す。必要とあらば、それをする。義を見てせざるは勇なきなり、とまた古い言葉を思い出す。
 だから書評もごちゃごちゃいいたくない。こういうことは、本来言葉ではない。いまは言葉の時代で、言葉を変えれば世界が変わる。皆がそう信じているらしい。教育基本法を変えれば、教育が変わる。憲法を変えれば、日本が変わる。法律もおまじないも、要するに言葉である。「おまじない」を信じる時代になった。
 外務省は危険地域として、アフガンへの渡航を控えるようにという。著者はアフガンに行きませんか、と私を誘う。危険どころじゃない、現地の人が守ってくれますよ。そりゃそうだろうと思う。唯一の危険は、用水路現場を米軍機が機銃掃射することである。アフガンでの戦費はすでに三百億ドルに達する。その費用を民生用に当てたら、アフガンにはとうに平和が戻っている。米国に擁立されているカルザイ大統領ですら、そう述べた。著者はそう書く。
 国際貢献という言葉を聞くたびに、なにか気恥ずかしい思いがあった。その理由がわかった。国際貢献と言葉でいうときに、ここまでやる意欲と行動力の裏づけがあるか。国を代表する政治家と官僚に、とくにそう思っていただきたい。それが国家の品格を生む。
 同時に思う。やろうと思えば、ここまでできる。なぜ自分はやらないのか。やっぱり死ぬまで、自分のできることを、もっとやらねばなるまい。この本は人をそう鼓舞する。若い人に読んでもらいたい。いや、できるだけ大勢の人に読んで欲しい。切にそう思う。

「国際協力」在り方示す

佐高信
評論家

「外国人によってアフガニスタンが荒らされた」という思いは、官民を問わず、党派を超えてアフガニスタンに広がっているという。
 そんな中で、井戸を掘り、用水路を拓く著者の試みは例外的に支持を受けている。それはなぜなのか? まさにいま問題になっているテロ対策特別措置法が国会で審議されていた時、参考人として招かれた著者は「現地の対日感情は非常にいいのに、自衛隊が派遣されると、これまで築いた信頼関係が崩れる」と強調し、自衛隊派遣は有害無益で、飢餓状態の解消こそが最大の課題だと訴えた。
 しかし、この発言に議場は騒然となり、司会役の自民党の衆院議員は取り消しを要求する始末だった。時計の針を六年前の著者の発言時点に戻せば日本はどこでまちがったかが明らかになる。
 その意味でも、この本は実に「タイムリー」な本である。
 自衛隊派遣は著者たちのようなNGOの活動を危険に陥れるだけであり、まさに「有害無益」なのだ。「給油活動」なるものもその延長線上でしかとらえられないことは言うまでもない。
 評者は著者を〝歩く日本国憲法〟と言っているが、平和憲法の下でこそ「どんな山奥に行っても、日本人であることは一つの安全保障であった」という著者の指摘は成り立つのである。
 喜ばれないものを派遣して、喜ばれているものを危うくすることが「国際協力」であるはずがない。医師である著者が「百の診療所よりも一本の用水路」を合言葉に現地で奮闘する姿は、これこそが国境を越えた協力の姿だということを示す。
 一つ一つ地に着いた言葉でつづられる「報告」に読者は粛然とさせられると思うが、著者が病気で二男を失う場面には、思わず、神はどうしてそんな試練を著者に与えるのかと叫ばずにはいられなかった。幼い子を亡くして著者は、空爆と飢餓で犠牲になった子の親たちの気持ちがいっそう分かるようになったという。

先ずパンと水を確保せよ!

吉村慎太郎

 政情不安と厳しい自然環境で知られ、日本では省みられることの少なかったアフガニスタンの大地に、誰が用水路建設計画を思いつくだろう。いや、思いついたとしてもその実行と完成までに多くの障害が立ちはだかることは容易に想像できる。しかし、この計画を実現したのが、1984年以来特にアフガン難民救済の医療事業を行ってきた中村哲医師率いる「ペシャワール会」である。
 何故、医師が治水事業に従事したのか? との素朴な疑問が湧くかもしれない。「飢餓と渇水の前に医療人は無力で、辛い思いをする。清潔な飲料水と十分な農業生産があれば、病の多くは防ぎ得るものであった」とは、こうした疑問を直ちに解消してくれる。著者とペシャワール会スタッフたちは現地アフガン人を含めて、「百の診療所より一本の用水路を!」を合言葉に立ち上がった。本書は、主にアフガニスタン東部クナール川を利用した用水路計画工事が着工される2001年9月から、第一期工事(マルワリード用水路、総距離一三キロメートル)が終わる2007年4月までの約5年半に及ぶ活動記録である。
 この計画の開始はもちろん、「米国同時多発テロ」事件と重なる。アフガニスタンは、米国ブッシュ政権によりその実行犯と目された「アル・カイーダ」と緊密な関係を持つタリバーン政権支配の国として、その一ヵ月後に激しい空爆に曝された。日本を含め、国際的な「反テロ戦争」の大合唱とその後の戦争状態や不安定な政治情勢が続く中、しかしこの計画は進められた。障害はそれだけに止まらない。素人集団による土木技術の限界、約10億円にも達する工事資金調達の難しさ、襲い来る洪水、土石流、地盤沈下や旱魃といった自然の猛威、「復興支援ラッシュ」による物価高騰、工事や土地所有をめぐる現地人との争いなども、計画推進を阻んだ。どれひとつ取っても、決して解決は容易ではない。
 この難工事も「誰もやりたがらぬことを為せ」との基本方針に加え、「アフガン問題は先ずパンと水の問題である」との現実認識や政治的中立の堅持、それまでに一五〇〇本もの井戸を掘ったことに見られる著者の指導力と協力者のエネルギッシュな活動、現地人との粘り強い対話を通じて漸く完成を見た。それだけなら、異国での苦労話に過ぎないが、現実の不条理や虚飾を目の当たりにした著者の言葉は、各々異なる文脈で語られながら、「錯覚」に陥った世界の実態を鋭く衝いている。「平和とは決して人間同士だけの問題ではなく、自然との関わり方に深く依拠している」、「『デモクラシー』とはこの程度のもので、所詮、コップの中の嵐なのだ」、「『ピンポイント攻撃』の実態は、無差別爆撃であった」など。
 今から七〇年前に同じアフガニスタンで農業指導に奔走した尾崎三雄(『日本人が見た‘30年代のアフガン』石風社)は著者の先例となる日本人だ。さらに医療活動の傍ら、カメラを手に発展途上国六〇ヵ国以上を旅した山本敏晴『アフガニスタンに住む彼女からあなたへ──望まれる国際協力の形』(白水社)も現実と葛藤する真摯な日本人の基本姿勢を教えてくれる。

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