◇決戦場へ
真夏だ。入院だ。手術だ。
退院したらそのまま家に帰っていいのか? リハビリは? 気にすればキリがない。
遠くを見たら気が遠くなりそうだ。足元をみつめ、すすむべし。幸い? 次から次へクロマル騒動のような出来事が持ち上がるので、気が遠くなるひまもない。
闘いに臨むには計画を立てねばならない。「闘い」とはジイジの手術であり、「計画」とは付き添う私と妹のスエコの予定を決めることだ。手術は二〇二五年七月一〇日。その前日の九日に入院する。手術の翌日には歩行できる見通し。志摩医師からは「週明けの月曜日、一四日の退院を目指しましょう」と言われていた。
私がジイジを連れて入院し、一〇日にスエコと交代する。スエコに一三日まで付き添ってもらい、私は一三日にスエコと交代。そのまま私は付き添い、退院に同行する。カテーテル手術の結果次第では、ジイジはペースメーカーを心臓に入れることになる、と志摩医師に言われている。そうなると退院は予定より延びる。現時点では、退院は一四日と思っておく。
スエコは「年休とるわ(関西弁)」と言う。京都で私立保育所の園長をしている。これまでジイジの介護は自由に動ける文筆業の私が担ってきた。六〇歳になってようやく稼げる仕事を得たスエコには職を失ってほしくない、という思いからだ。しかし、入院・手術となると少しは加勢してもらわないと、私も日程のやりくりができない。いくら私がフリーといっても、ジイジのそばに居続けというわけにはいかないのである。
「留守にしたらいかん。ワシは家におるわ。お前、行ってこい」というジイジをクルマに乗せ、家を出発したのが七月九日午前七時四五分。クルマは東へ走る。
貞光の道の駅、吉野川市役所と二か所のトイレ休憩をへて、午前九時半、徳島市の阿波白鷺病院に着いた。ジイジをクルマに待たせ、正面玄関から車椅子を借りて来る。入院センターへ。ジイジはまずトイレ。病衣などの貸し出しの手続きをすませ、病棟へ行った。
検査入院の退院時、ナースセンターに入り込んで、若い看護師らに歓待されているかにみえたジイジ。何人かのナースとすれ違ったが、むろん、だれもジイジのことを覚えていない。
検査入院のときは四人部屋だったが、今度は個室である。家族の付き添いが入るので四人部屋というわけにはいかない。個室は、ビジネスホテルのシングルといった印象の広さと備品。ジイジはこのベッドの主となるわけである。私の寝具も借りてこなければならない。ジイジのベッドの隣へ組み立て式ベッドを備えるのである。
「失礼しまーす」
若い看護師がふたり来た。いや、服装が微妙にちがう……。看護師ひとりに、もうひとりは看護学生である。実習であろう。学生は部屋に一歩入るなり、そこに野獣でもいたかのように目を見開き立ちすくむ。平静をよそおっているが、白衣を乙女らしくぎゅっと握りしめ、怯えを封印しようと懸命だ。
「結んでくださいね」と看護師がジイジの病衣の紐を結ぶ。「ありがた山の塩むすび」とジイジがテレビで仕込んだ冗談を言う。看護師は微かに頬をゆるめてくれたが、学生には通じない。重い沈黙のまま、学生は看護師に指示されて血圧、血中酸素濃度などを記入し、ジイジをチラと見て、あー、もうたくさん、という顔で出ていった。
彼女らと入れ違いに「ボクは研修医一年目です」という山縣章夫医師が来た。研修医ということを前面に打ち出し、何も分かりませんからよろしくお願いしますとでもいうような謙虚な態度に好感がもてた。山縣医師はジイジを寝かせて目を診る。ジイジの半身を起こし、心臓の音を聴く。検査入院のときも看護師を含め何人かが聴きに来た。心臓弁膜症の音とはこういうものだと覚えておくのであろう。
志摩先生が来た。手術の同意書に私はサインをした。先生の立ち去るスピードが早い。
ジイジに落ち着きがない。ベッドに座るよう言ってみたが、居心地がわるそうである。部屋から出たがる。「下へ行く」と言う。病棟は四階なのだ。
「下って?」
「一階へ行きたい」
「行って、何をするん?」
「タクシーに乗る」
「市内のどこか、行きたいところがあるん?」と問うと、黙る。タクシーに乗って、病院から去ってしまいたい。そのままクルマを西に走らせ、家に帰りたい、それがジイジの本音だ。
私は志摩先生からもらっている『大動脈弁狭窄症(心臓弁膜症)』のパンフレットをジイジに見せた。いかにアブないか、余命一~三年ということを改めて説明した。ジイジは無言である。なんの慰めにもならなかっただろう。
夕食が来た。検査入院のときも思ったが、この病院の食事は手作り感があって、おいしいのである。私は食べていないが、ジイジの食事の様子からウマイと分かる。「心臓食」と称するジイジの夕食のメニューは次のとおり。
米飯200グラム、若鶏の照り焼き、付け合わせ。甘藷の甘露煮、ハムとキュウリの和風マリネ、フルーツ(オレンジ)。
ジイジは一心不乱に食べた。もともと健啖家なのである。何も食べず横に立っている私に少しは遠慮してもいいくらいである。食べ終わると、「いぬ(帰る)」と言う。食べずに「帰る」というのなら分かるが、完食しておいて「帰る」はないだろう。
◇長い夜
ジイジと私の長い夜がこうして始まった。
病院は当直態勢である。看護師ら数人が待機して、数十人の患者の面倒をみるのである。二〇代の若い看護師が一応の担当だ。うつむいたとき、演歌歌手の天童よしみに口元のあたりが似ている、と思った。「一応」というのは、同時多発的にナースコールが鳴ることは珍しくなく、結果的に、入れ替わり立ち代り複数の看護師のお世話になるからだ。
病院側はジイジに心電送信機をつけた。生体信号を受信モニターへ伝送する医療機器である。三つのコードを胸に吸盤みたいなものでつける。心電図をはかるときと似ている。病衣のポケットにはスマホよりやや小さい送信機。心臓の動きをナースセンターが逐一把握する、はずなのであるが、ジイジはコードをすぐ引きはがす。そのたびに看護師が来てコードをつける。五回以上そういうことがつづき、看護師は来なくなった。あきらめたのだ。
帰りたがるジイジ。心臓送信機に難色をしめすジイジ。そんなジイジに私は懸命になって、なぜ西の辺境からはるばる県都徳島市までやってきたか、その理由を説くのであるが、柳に風というか、アタマにのこらないというか、一時的に納得したように見えても、すぐに「帰りたい」がぶり返す。理詰めで言っても無理なのだ。私も冷静に対処しているつもりだが、帰る、帰ると再三言われると、つい「もう来とるんだ。帰るって、どこへ帰るんだ」と声も荒くなる。「家へ帰る」とジイジは言う。納得ずく(医師も私も何回も説明して、そのたびにジイジはうなずいた)で入院したはずである。大人のふるまいとは言い難い。ある程度の年齢を超えると、〝本音〟を抑えることができなくなるのか。
ジイジがトイレに入る。小便をしたのに流さない。ジイジは「流す」のレバーと間違えてナースコールを押す。「どうしましたー?」と天童の声が響く。「間違えました。すみませーん」と私が謝る。「はーい、かまいませんよー。分かりにくいですもんねー」と言ってくれるやさしさがありがたかった。しかし、これが何回もつづくと看護師も寛容でありつづけることはむずかしい。
ジイジはテレビをつける。「人の声がしないと落ち着かん」とつぶやく。ジイジは家でもリビングのテレビを消さないで隣の寝室で寝る。テレビをつけたままでよく寝られるものだと思っていたが、「人の声」を求めてあえてつけているのだと入院に付き添って初めて知った。
衣服などはロッカーへ、入院中必要なものはベッドの足元の収納台においた。整っているにもかかわらず、ジイジはロッカーの中のものと収納台のものとを入れ換えたがる。何か目的があって入れ換えたいのではなく、入れ換えそのものに没入したいのだ。不安を忘れたいということではないだろうか。収納台にはデイケアにも持参するお気に入りの巾着型の濃紺の袋をおいてある。マスクや眼鏡ケースを袋から出し、袋に心電送信機を入れる(入れてはならない)。収納台のクスリケースをロッカーに入れ、ロッカーからズボンを取りだしはこうとする。眼鏡ケースを袋に戻す。手が止まらない。お笑い芸人の間寛平が竿か何か長いものを、周辺の人をなぎ倒す勢いで振り回して、「これが止まるとわしは死ぬんじゃ」というギャグがある。ジイジの行動から寛平ちゃんを思い出した。
それともうひとつ。ウォーキングのとき私は、信号待ちなどで立ち止まると、一時的に低血圧になるのか、からだが地面にしずんでいくような惑乱した感じに見舞われることがある。映画『Uボート』(一九八一年、西独)の艦が沈降する場面を私は思い浮かべる。二〇〇メートル、二六〇メートル……、これ以上沈むと水圧で艦がおしつぶされてしまう。歩きながら地面がしずむと、目にうつる景色がゆっくりと渦を巻く。私はあわてて空を見る。自分の手や足元でもいい。とにかく深淵らしきものから目をそらす。目が回らないための工夫なのだ。血圧が高めの私は降圧剤を処方してもらっており、服用したうえでウォーキングすると、血圧が下がりすぎて立っているのも危うくなる。
歩いているあいだはなんともないのだ。立ち止まると、地面がしずむ。そうならないためには立ち止まらないことだ。脇へいく道があるならそっちへすすみ、頃合いをみてUターンする。いまきた道を引き返すのもアリである。不審な視線を向けられるかもしれないが、昏倒してしまうよりマシだ。動くことで転倒を回避する。そんなことをする私にはジイジの行動が分かるような気がする。止まっては駄目なのだ。
午後八時、いつもならジイジはソファでうつらうつらしている時間である。
ワシはどうしてここにいるんじゃ。目がすわっている。せん妄の嵐に巻きこまれつつある、と言っていいのか。せん妄の渦は本人だけでなく周辺の者もいやおうなく巻き込んでゆく。ジイジがフテ寝でもしてくれたら付き添い者としては楽なのだが、ジイジは根が真面目なのか、高齢で抑えがきかなくなってしまったのか、入院・手術という現実そのものを変えてしまおうと足搔く。入院・手術に葛藤があったとしても、いったん入院したならば観念するのが大人の道というものであろうが、ジイジの場合、なんとか変えたいともがく。観念できない。全然懲りない不良少年のようである。現実にあらがってためこんだひずみがせん妄となってあらわれるのか。
比較的軽い気持ちで、田舎からほいほいやってきたものの、気がつけば、乾いて冷たい病室にいる。いったいどこで道をまちがったのだろう。ジイジにしてみれば、聞いてないよー、という感じだろう。森の野草を掘り起こして、実験室のコップに入れたようなものだ。入れた方はその行為になんの疑いももたないであろうが、野草の方は環境の変化に呆然とするばかりである。
入院手続きを待っているときから実は私も不安でいっぱいであった。入院生活に必要なものを載せたカートを入院センターの椅子に座ったまま胸の前で抱える。カートとジイジの車椅子とを連結させる姿勢で私はジイジの番号が呼ばれるのを待つ。本当は数分程度しか待っていないのだが、途方もなく長く感じる。身動きできない状態で天井を見つめる自分を想像する。脳卒中、外傷性ショック、神経内科系の疾患……いつ災禍に見舞われるか。閉所にとじこめられたような、ワーッと叫びたい気持ち。ここにいる人たちも診療科はそれぞれみんなちがうのだが、閉じ込められたように思う気持ちと全員がたたかっているのではないだろうか。人間社会で、人間同士が話をし、親しくし、徒党を組み、会社などつくったりするのは、閉塞感からのがれるための死活的でサバイバル的な営為なのかもしれない、と私の思いは飛躍する。
私は、知人の高齢女性が亡くなるときの情景を思い出していた。積極的治療の段階はとうにすみ、医師がヤマ場と宣告した時期にさしかかった。医師は帰ってしまい、看護師がひとりついているだけ。この場合の「ヤマ場」は治療の成否をかけた分岐点という意味ではなく、死へと入っていく時間のことなのであった。女性が不安げに顔をしかめるたび、「はい、息をおーきく吸って」と看護師は繰り返す。横になった人はその声にすがるしかない。すがったとして、行き先は死である。正岡子規流に言うと、安楽を死出の旅に求めるしかないはかなさ。臨終の間際、息子から「お母さん」と呼ばれて、女性は涙をこぼした。意識があったのか。
午後九時過ぎ、ジイジが病衣をぬごうとする。意味のない行動である。私は呆然とそれを見ている。「ぬがんでもよかったか」と苦笑したジイジは、今度はベッドの脇の取手の操作に熱中する。取手が知恵の輪ででもあるかのようにいつまでもがちゃがちゃいじっている。
「青年団のヤツに教えてやりたいが、要領がちがう」と意味不明のことを言う。
医師処方の眠り剤を一錠のむ。
「横になって、寝て」と私は言う。自分の意思で寝てくれるのを待ったのだが、その気配がぜんぜんないため、口に出したのだ。
「青年団、それだけのこっちゃ、けっきょく」とジイジは言う。「ワシの言うことがわからんのか」という顔でジイジが立ちすくむ私を冷笑する。
さきほども書いたが、ジイジの顔が普段と違う。イッてしまっているというか、正気を失っている。一種の発作であろう。うつろな目が漂流するばかりである。
正気に戻すためには第三者の介入が必要だと私は思った。迷惑だとは分かっているが、ナースコールを鳴らす。「どうしました?」「父が寝てくれません」と窮状を訴える。天童が来た。一緒にジイジを寝かせる。ジイジの体はベッドの下の方にずれていたので、「よっ、せい」と看護師とふたりがかりでジイジの体を持ち上げるように動かし、枕の上にジイジのアタマを載せる。神妙に目を閉じた。
これで大丈夫と判断した看護師が「おやすみなさい」と出ていくと、ジイジはむっくり起きた。ベッド脇の取手の操作にふたたび熱中する。手を止め、ベッドからおり、部屋を仕切っていたカーテンを開ける。「なんだこの部屋は」と言う。ベッドに戻ってほしいが、むりやり戻しても、ベッドへの拒否感は強まるばかりであろう。どうしたものか、と私はジイジの背をみつめる。
午後一〇時、ジイジが病室から出た。私はあとを追った。廊下の左端に明るい部屋がある。ナースセンターである。灯にひかれる蛾のようにジイジはナースセンターへ向けて歩く。魂が抜かれたような、イッた感じの顔のまま。薄ら笑いは、こんなになってしまった自分を正当化する強がりであろうか。
「オヤジ、どこへ行く?」
「……」
「どうしたオヤジ、しっかりせい」
「しっかりしとるわ」と真顔で怒る。
「戻ろう、自分の部屋に」
「戻りよるわ、自分の部屋に」
と言いつつ、自分の部屋を見捨てるジイジなのだ。常夜灯がジイジの発作顔を照らし、顔が白くのっぺりと見える。横溝正史『犬神家の一族』の白いマスクをかぶったスケキヨを思い浮かべた。いっそのこと本当に仮面をかぶって院内を徘徊したなら、もっと興があるのに、と私は罰当たりなことを考えた。
ナースセンター。そこへたどりつけば、大勢の看護師がいて、みんな一斉にジイジを見て、ワー、よくいらっしゃいました。眠れないのですね、それでは一緒にゲームをしましょうと歓待され、和気あいあいの友好ムードが盛り上がり、まあ、おひとつどうぞと熱燗の日本酒まで勧められ、ジイジは気分よく盃を重ねた……というようなことはなかった。各病室からナースコールが相次いでいるようで、看護師はだれもいない。
しばらく立っていたジイジはUターンした。ナースセンターから病室へ。暗くて長い廊下がつづく。ジイジの夢遊病的オーラにすっかりとりこまれてしまった私は、現世から切れた不可思議な空間をさまよっている気分だ。巨大な円筒形の宇宙船にでも乗り込んでしまったか。外は漆黒の無重力空間であろう。ジイジが立ち止まる。表情がやややわらかくなっているように私は感じた。「さあ、ベッドに行こう」と私はアンドロイドに指示するように言う。
「オレがいるから、安心して寝て」
廊下に出ても受け入れてくれるところはないということを得心したのか。ナースセンターまで行き、見るべきものは見た、という心境になったのか、スースーガーガー、横になったジイジが本格的ないびきをかきはじめる。
ガースーのいびきを聞きながら、オヤジの隣で寝るのはいつ以来かと考える。子どもの時分以来ではないか。
スースーガーガー、スースー、ガガガガ……。イビキがやむ。一〇秒後、スースー、ガガガガと再開、ガースー、ガガガガ……。また止まる。スースーガーガー、スースー、ガガガガ……。呼吸が止まっても、すぐ再開するのであればいいが、止まったままのときがある。長いときで一分近く止まっている。「これは……」と隣の私はヒヤヒヤしている。「死んでしまったか」と思う。無呼吸症候群というやつだろうか。後日、訪問看護師の播磨さんにジイジの呼吸の一時停止を報告したが、播磨さんは「そうでしたか」と軽くうなずくのみであった。それが分かったからといってジイジの年齢ではその病気への積極治療などはしないのだ。スースーガーガー、スースー、ガガガガ……。
午後一〇時四〇分、ジイジが起きる。トイレ。
横になる。イビキはおろか、寝息もまったく聞こえない。
起きているのかよ。あれだけイビキかいたのなら、その勢いでそのまま寝てくれよ。いったん目がさめたら、もう寝られない、なんて言うなよ……。私は絶望的な気分で横になっている。
午後一一時一〇分、トイレ。
ウォシュレットで病衣の背を濡らす。
せん妄は去った(そんな気がする)。
せん妄が去ったとしても、いまいる場所(病室)への根源的な不安というべきものがジイジの体内の奥深くに巣食っている。
ジイジは椅子に座る。不慣れなベッドよりも、座った姿勢の方が眠りに入りやすいというジイジなりの判断だろうか。アタマがこくん、こくんと何度も前に落ちる。そのたびに危うく体を立て直す。眠くはあるらしい。
起きている気配を察したのか、年配の看護師が入ってきた。椅子のジイジを見て「倒れると危ないですよ」とジイジを立たせて、ベッドにみちびく。
看護師が去ると、ジイジはベッドを出て、また椅子に戻る。ベッドだと違和感の炎に全身をあぶられるようであるのか。椅子の方が落ち着くのだろう。
「環境になじめないのだろう?」
ジイジはうなずく。眠いか眠れないかよりも、身体が環境を拒否しているのだ。
日付けが変わり、一〇日午前一時三五分ごろ、ベッドに戻ったジイジに陥落の気配があった。ジイジが眠りにつく。
やっと、と思う。時間が時間であるし、さすがに、もう寝てくれるだろう。
一〇分後、ジイジがガバと起きる。ジイジの体内にお城があるとして、その城内に頑固な番人がいて、眠りに来た旅人をいちいち追い返している感じだ。
大いなるものの意思でいたしかたなく起こされたという風情でジイジはむっくりと起きる。老人らしく悠然と床におり、部屋の中を歩く。ベッドに戻って、眠る、起きる、立つ、眠る、起きる、を繰り返した。眠る、起きる、といちいち書くのは面倒なので、以下省略。
ほんとに眠ったのは午前四時頃ではなかったか。








